2020年10月25日日曜日

今後への戒め


いま過去の下書きを見たら、赴任中に学んだことをまとめてあったのでそのまま上げます。どうやら3月3日に書いたもののようです。

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アメリカの会社出向中は日本とはだいぶ違った感じの経験でした。会社として小さく、自分の持っている「権限」が遥かに大きかった。でも、そのうえでいろいろ考えることもありました。忘れないように書いておきます。日本に戻って生活に慣れたら意味不明なことなのかもしれませんが、それでも書くことには意味があると思います。

  • 自分がある程度の大きな権限を持っていたとしても、自分がヒトとしてほかの人より優れているからではない。会社の仕事はあくまでも役割分担であって、それに対して給料が支払われているだけ。
  • 「責任を取るから」という言葉には意味はない。なぜなら、たいていのことはうまくいかなかったときにそれを回復することは実質的にほぼ不可能だから。例えば、新規の感染症の広がりを防ぐためにいろんな方策を「XXの責任でやる」といって手を打って、でも不幸なことにその努力の甲斐なく国中に広がってしまった場合、いったいどうやって責任を取るというのでしょうか。責任ある立場をやめる?それはやったらいい。でも失ったものは帰ってこないので、実質的な救済は不可能です。もちろんその人が辞めてほかの人が代わりに指揮を取れば事態は改善するかもしれないので、辞めることは否定しません。でも、安易に「責任を取る」といったからと言って何でも許される、仕方ない、という考え方はおかしいと感じます。え?だったらどうしたらいいって?「責任をとるから」ということを言わなければいいのです。だってたいていの場合責任は取れないんだから。何か自信/拠り所がないから「責任」ということになるのではないでしょうか。
  • (職種にもよるけど)完璧を求めすぎていては生産性が非常に落ちます。もちろん、間違いがないことは望ましい。でも、それが必須か、求められていることなのか、を考えなければなりません。日本-アメリカで同じような内容のことをやったとしても、その精度は全然違いました。でも、それでも大きな問題なく物事はすすんでいきます。では自分はいったいどうすればいいか、というと、自分の払う対価に見合うだけの期待をしましょう、ということです。極端な話で例えると、100円ショップで買った電子機器に電池がついていない!と苦情を出す、とか、そういうことはやめましょう、です。居酒屋で出てきた300円お通しについても、文句言ったらダメ。嫌なら1000円のお通しが出てくる店に行きましょう。でも、例えば100万円はらった自動車については、すこしは文句とか言います。
  • 仕事をするとき感情的にならない。感情的になっても問題解決にはならないので、その状況を改善するために自分が何をできるかを考えて実行したい。別のエントリーでも書きましたが、人を恐怖でコントロールする、というのはもう100年前のやり方であって今は時代が違うと思います。そういうのって、簡単だからみんなやるんであって、そしてたいてい簡単なやり方というのはメリットが小さいと思う。また、一緒に仕事をしている人の感情が安定していると、仕事はやりやすいと思います。

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