2018年10月6日土曜日

メールとF to Fのギャップ


いま、出向の立場で元いた職場から物理的に遠く離れて仕事をしています。元いた部署と今の職場をつなげる仕事もしているので、引き続きコミュニケーションを発生してます。また、今の会社の同じ部署の同僚4名(うち2名はコンサル)のうち3名は自宅で仕事をしています。

そんな中で日々思うことが、「メールから受ける印象と、F to Fで受ける印象のギャップが大幅に異なる人がある程度の数存在すること」です。で、たいていの場合は「メールを見たら、めちゃ嫌なヤツだけど、F to Fであってみると普通か、むしろ話しやすい」みたいなケース。なぜか、メールはすごくいい感じなのにF to Fであってみると超邪悪なひと、というのはあまりお目にかかりません。

なんでこうなるのかというと、

書き手側の問題
  • 職業柄も含めてメールの文章が非常に簡潔、悪く言えばそっけない。いきなり話題の核心をメールで送り付け、それだけ終わったら去っていく。一般論として職位が上の人になるほどこの傾向がある気がする。
  • メールでは表情によるフォローがないが、それを言葉で補えていない。もしくは、補う必要性を感じていない。意図的に補っていない、等。
  • メールだったら相手の前にいないからどんな乱暴な書き方でも罪悪感を感じず攻撃的なメールが書けてしまう(→論外ですが)。
受け手側の問題
  • 自分の不本意なメールを受けたとき、それが文章で書かれていると、言葉で言われた時よりも腹が立つ(何度も読み返せるし)。
  • 個人的な経験に基づいて、メール文章から勝手に書き手を妄想してしまう。で、実際あってみてイメージと違っていてがっかりしたりびっくりしたりする。
で、何がいいたいかというと、これって、今後仕事をしていくうえで、ヒトとして克服すべき課題であり、やっぱりF to Fとメールから受ける印象が近いものにならないと「不誠実なひと」と取られても仕方ないのでは?と思ったわけです。上記の受け手側の問題があるので、完全な対策はできませんが、一方で、「この人のメールは非常に感じが悪い」ということを多数の人間が認めることは結構ありそうです。だって、そういうメールって、すごく感じが悪いから。

忙しければ忙しいほど、メールに時間かけたくないです。その気持ちはよくわかる。でも、仕事をするためには本当はいったい何に時間をかけるべきなのか、を考え直す価値はあるように思えてきました。結局、ちょっとしたメールを推敲する時間をケチって、人との関係をこじれさせたり、人の気分を害したりするくらいなら、最初からちゃんと手を抜かずやっとけや!と思えてきた。

Gmailの設定をしておくと、相手からメールが来た時に、3つくらい答えの候補を提案してくれる機能があります。スマホで、ぽちっと返信しやすいようにするための機能だと思います。そう。どうもこうもない返信なんてすでに機械でもできる。ヒトにしかできない返事をするからこそ、意味があるのだ、と思うのです。

メールばかり書いていてはダメ、と言って手を抜いたメール書いていても、それはそれでダメなのです。

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