2019年1月24日木曜日

何をもって「できます!」というのか?


一体何を持って「できます!」というべきなのか、何度考えても悩ましいことです。

私が3年前までやっていた仕事は、社会人になってから14年間(途中2年間の中断期間あり)続けてやっていたので、期間としては決して短くないと思います。また、大学、大学院で勉強したことを基礎としてやっていたので、実態としてはそれよりも長いです。でも、仕事の内容が多岐にわたるので、なかなか「一人前」という感じはありませんでした。その後同じ会社でいわゆる研究の調整部門的な仕事を2年ほどしてましたが、これはこれで専門性があってないようなものでした。特に自分としては本社っぽい仕事に慣れるまでかなり苦戦し、慣れてきても出来が悪かったので、全くもって「一人前」感はないです。なんとか「こなした」感じ。

で、1年前に今の仕事についたのですが、これは前の2種類の仕事を両方やるような仕事です。もちろんその分濃度は低いですが、粒度の異なる仕事を一通り全部こなす必要がある。もちろん一人でやるわけではなくて、同僚も2人いるし、日本の親会社の人、個人的な知り合い等いろんな人がサポートしてくれるので、何とかなっているわけですが、結論としては、まあ、何とかなったわけです。実感としては「一人前」感覚がないものだったのにも関わらず。

でも、「一人前になった感」って全く客観性がなくて、全然意味がないことのような気がしてきました。それを基準に仕事を選んでいると、自分の幅を広げる機会を失ってしまうような気がします。いわゆる日本人的感覚では、一人前になるには長い時間をかけた修業が必要なのじゃ、みたいなのがあるので、10年でもまだまだ、みたいな感じではないでしょうか。

アメリカ人はそんなことない。1-3年程度頑張ってやったら、(いろんな幅があるものの)その分野のエキスパートだとみられるっぽい。本当にそう思っているのかは確かめようもないですが、皆さんはそう言ってます。例えば、前にアメリカの大学の研究室にいて、ある分野の研究をしていたのですが、1年半くらいやったところで指導教授が「もうこの分野の論文も一通り読んで、論文も書いたんだから、もうあなたはこの分野のスペシャリストなのだ」といわれて「大げさだし軽いなー」と思ったものです。でも今回仕事をやってみても皆さんの認識(言ってる感じ)からそんな感じが見受けられます。

アメリカ人が特段能力が高いわけでもないので、習熟度という意味では、日本でやった14年がアメリカでは3年でできます、なんてことはさすがにないと思います。ということは、言ったもん勝ちの世界です。「できます」って胸を張っていっちゃう。でもそんなでもまあ何とかなりそうな気がしてきた。というか大体そうなっているように見える。こういうところ、日本人は損してます。ホラを吹く必要はありませんが、適度な自信を持つことは世界で戦うためにはとても大事です。

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