2019年2月25日月曜日
お辞儀ハンコ
たまにYahoo Japanのポータルで日本のニュースを見ますが、今日びっくりしたのが「お辞儀ハンコ」です。ニュース自体は「書類のハンコがお辞儀していないからと激怒の電話が早朝にかかってきた」という話です。その真偽はともかく、この「お辞儀ハンコ」という習慣に改めて驚きました。
お辞儀ハンコ、会社で働き始めてから、実は3年ほど前まで知りませんでした。ある物知りな同僚が面白半分に言っていたのを聞いて、衝撃を受けました。冗談みたいなもんなんだろうと思ってたら、今回ニュースに出ていてまさかの再会を果たしたのです。
そもそも仕事でハンコを使うことが減ってきていると思うので、少しずつ減っていくと思いますが、ハンコの傾きをお辞儀に擬人化するその想像力の豊かさを、何かほかに使えないもんでしょうか。アメリカは(というか日本以外のほとんどの国で)ハンコがないのでそういう問題は起きないけど、実はそういうのあるのだろうか。うーん、でも全くそんな感じは見受けられません。そもそもPDFファイルへの電子署名も増えてるし。思い出した。日本の電子署名でもハンコがあって、それもお辞儀ハンコできるように傾けて押せるようになっている、というのを同僚から聞いたのだった。
ちょっと面白いのは、今回のニュースでお辞儀ハンコを知った人が「お辞儀ハンコなんてあほらしい。はんこはまっすぐ押すもんだ!」という意見を述べているのを見かけます。うーん。押してあればいいんだから、極端なところ、逆さでもええんちゃうんか?と僕は思います。議論する価値すらないと心から思います。
メールを複数の人に送る際は、Toとかcc欄のメールアドレスの並び順も高い役職者からにするのが原則、というのも聞いたことありますが、まあこれもお辞儀ハンコ似たようなものでアホらしいです。「偉い」人であればあるほどメールのアドレスの順番ごときを確認しているヒマないので、そもそもナンセンスだと思う。自分自身「偉い」立場ではないけど、それでも多数のメールを処理するのに忙しくて、そんなの気にしたこともなかったわ。そんなことを考えるヒマがあったら、「本当にこの人をtoやccにすべきかどうか」とか、そういう本当に意味のあることを真剣に考えることに時間とアタマを使いましょう。ぼくは、こういうコトで激怒しちゃう人と関わり合わずに生きていきたいと強く希望します。
2019年2月14日木曜日
有機化学系論文のイントロって
有機化学の全合成とか反応開発の学術論文のイントロって、昔からへんだなーと思ってました。
「本論文で合成ターゲットとした天然物は、こんな変わった構造をしていて、こんな強力な薬理活性があるので非常に注目されているのです」とか「こういう部分構造は医薬品の中に多く見られるのでとっても重要なんです。だからそれを合成できる新しい反応を開発することにはとても大きな意味があるのです」とか、ざっくりこんな感じのイントロです。そして、それを解決するためにこんなアプローチを・・・と本筋のところが続きます。論文の本筋のところは、著者が最も力を入れて書くので全く問題ありません。そここそが論文の見せ所。
でも、このイントロの部分、なんか雑じゃないですか?後ろのほうはきちんと科学に基づいた論文できちんと裏付けをとっているのに、イントロは、悪く言えば「みんなが面白いっていってるから」「医薬品って何種類あるかわからんけど、とりあえず調べてみたらいくつか例が出てきたから、たぶんメジャーなんだよね」みたいな感じに見えます。こういうイントロはメインのところではないのですし、脚注と参考文献が付いたりするのでその場合はある程度理解できますが(私も学位論文では脚注を付けました)。。。一つの論文がすべてをカバーできないので、その部分は参考文献で、という行為自体には問題はないと思います。でも、なぜかそこがすごく雑に見えてしまうのです。そんなこと、思う人無いんでしょうかね。めったに論文を書く機会のない私にとっては、常に不思議としてあり続けているのです。
2019年2月4日月曜日
コミュニケーション力2
コミュニケーション力のついでにもう一つ。
「最近の若者はコミュニケーション力が低い」という意見を会社での雑談や新聞、雑誌やWebで度々見かけます。自分も40歳を過ぎていて、そういう意見は分からないでもないとは思います。
一方、これは新聞とか雑誌とかで発言する機会が多い「非若者」の意見かもしれないと思うようになりました。特に3年ほど前に研究の仕事から、いわゆる調整部門の仕事をするようになって以来、こういうことを思うようになりました。コミュニケーションって、一方的ではなくて相手あってのモノなので、片方が一方的に悪い、というのはちょっとフェアじゃないです。例えば、最近の若い人はLineとかでのコミュニケーションがメインなので、電話が苦手です、みたいな話が日経新聞に出てました。確かに電話できないと困るけど、それができないからコミュニケーション力足りませんとか、そういうものでもない。電話が苦手、というだけのこと。誰(おじさん)でも苦手なことはあるし、「酒を飲まないと腹を割って話ができない」という始末の悪い人もいるわけです。こっちが酒を飲みたいかどうかに関係なく、酒を飲まないやつとは分かり合えないという傲慢な主張。私から見ると変だし身勝手です。ともあれ、どっちも得意と苦手があるだけなのです。
チャットのほうが得意という人とは、Skype for Businessのチャット機能でコミュニケーションしてもいいわけです。議論できて、意思がきちんと伝わればそれで問題ない。仕事に支障ないならメールでもいい。「同じ部屋の人にメール送るなんて許さん」みたいなこと言う人もいると聞いたことがありますが、そんなの関係なし。そんなこと言ってたら、その人は孤立するだけ。その挙句「あいつらは何も報告してこない」と怒っちゃう。独裁政権ならそれでもいいけど、そんなのでやっていける時代ではないと思う。同じ前提を持った人たちだけで仕事がしたいなら、快適な小さい単位でまとまって、その中で一生を過ごしたらいいだけのことです。
「最近の若者はコミュニケーション力が低い」って言っている「非若者」は、自らのコミュニケーション力の低さを露呈しているだけで、無能を世にさらしているだけに聞こえます。自分が得意とする、もしくはそれが当然だと「自分の都合で勝手に正しいと信じている」方法に縛られることにならないように気を付けたいものです。
コミュニケーション力
いま流行のコミュニケーション力。仕事をしている人はたいていこの問題にぶつかると思います。私の今の仕事は、いろんな人をつなげて、お願いして回って仕事をしてもらうことなので、いかに意思を正しく、しかも受け取る側が気持ちよく伝えることができるか、というのは仕事の成果に大きく影響します。
いま、アメリカの会社で働いていて、まわりはみんなアメリカ人。同じオフィスにいる人は普通に話せば問題ないのですが、人によっては在宅だったりするので、コミュニケーションは(そもそも英語だし)難しいです。同じ場所に勤務していない場合、日本だったらさっさと電話して、そのあと確認のメールを送って終了、という感じですが、今は順序がちょっと違う。まず丁寧に状況を整理したメール(時にはPPTなんかで簡単な図を作ったり)を書き、それを送ったうえで必要あれば電話し、そのあと理解を確認するメールを交わしてようやく終了。最初のメールを丁寧に書くの時間がかかるのでコミュニケーション1回あたりの時間のかける量が多い気がします。でも、これのいいところはちゃんとやればちゃんと伝わることです。あとで話をしてみて「あれ~?」ということは実はあまり起きてません。
逆に、親会社の日本人と日本語でコミュニケーションしている際に、後で確認してみたら「あれ~?」ということがずっと多く起きていることに気づきました。なんでそうなってしまうかというと、一番大きいのは、私自身の油断だと思う。アメリカ文化はローコンテクスト文化と言われているので、英語でのコミュニケーションは背景をきちんと説明、整理してから説明に取り掛かります。が、日本語の場合はそもそも語学的にも不自由はないし、今まである程度の期間にわたって一緒に仕事をしてきた人たちなので、それほど必死に伝えなければと考えてていませんでした。英語でのコミュニケーションに気を取られていたというのもあります。だーっと書いたそれっぽいメールを送り、その返事をみて相手の理解を推し量って、まあだいたい伝わっていたら終了、みたいな雑な感じでした。今になってよく考えてみると、むしろこっちのほうがきちんと伝える努力が必要だったと悟りました。
これ、私が気づいたことでもなんでもないのですが、ハイコンテクスト文化においてこそコミュニケーションをとる際は気を付ければならないのです。なぜなら、お互い相手が「たぶん分かっているよね。この前提は」で話を進めてしまい、あとになって「あれ~?」ってことになる可能性が結構高いのです。ローコンテクストでは基本的にはそれは起きない。途中で必ず???となって、話が進みません。こういうのって、本を読んだり人から聞いていればどういうことかはわかるのですが、これをアメリカ人とのローコンテクスト文化でのコミュニケーションと並行してやってみると、その差が鮮明に浮かび上ががってきます。
ということで、今後もコミュニケーションをとるときは、油断せず、手を抜かずにやろうと思いました。
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