2019年1月31日木曜日

日本の会社員とアメリカの会社員


日本の会社と仕事をしているアメリカ人が、こんな感想を漏らしていました。
「日本の会社の人って、一人一人はそれぞれ違う意見を持っていて、1対1の場合はそれをボクに言ってくるんだけど、でもその人たちが組織になるとそれぞれの意見をぶつけて議論しようとしない。組織になると上の人の意見に異議を唱えないから。だから、みんなに二つの人格があるように見えて、いったいどうしたらいいのか/どうしたいのかわからん」。「ボクは自分の意見を上司にぶつけて、それでも違う決定が下されたら、仕方ないのでそれには従うよね。だって、彼はボスなんだから」。

日本の側のやり方、よくわかるなあ。私が勝手に思っているだけかもしれませんが、(特に研究出身の人は)自分の考えを持って、上司がなんと言おうとそれを曲げずに貫くことが美徳とされている感があります。そして、そういうところからイノベーションとか、素晴らしい成果は生まれるのだと。初心貫徹。石の上にも三年。個人的にはそんなの一概には言えないので、それを美徳とするのはアホらしいと思います。(よく読めばわかると思いますが、初心貫徹があほらしいという意味ではなくて、初心貫徹することがすべて素晴らしいという考え方のこと)。

どっちもいい点はあると思うけど、日本式は確かに一貫性がないので仕事する上で混乱します。会社の組織としてどっちがスムーズに仕事できるかというとやはりアメリカ式のような気がする。あれ?でも日本は個の力よりも組織の力が強いっていう感じじゃなかったっけ?一度決めたことは粛々と進める、というのは生産性を高める観点で非常に良いと思います。私も上司がアメリカ人だしアメリカの会社なので、いまはその進め方に従ってます。たまに「あれ?そんな決定しちゃうの?」ってこともあるけどでも、軸がぶれないのでとても仕事しやすいです。

これ、意識と習慣の問題だと思う。だから、変えられないことではない。やる気と、それなりの立場の人がそれなりの行動をすることが必要、かな。

追記:

この話をある日本人としてみたところ、その人は「いや、うちの会社はそういう気概のある人がいなくてイエスマンばかりなので、心配している」といってました。そうか。日本人一般こんな感じとばかり思ってたけど、そうではないところもあるんだなあ。

2019年1月24日木曜日

何をもって「できます!」というのか?


一体何を持って「できます!」というべきなのか、何度考えても悩ましいことです。

私が3年前までやっていた仕事は、社会人になってから14年間(途中2年間の中断期間あり)続けてやっていたので、期間としては決して短くないと思います。また、大学、大学院で勉強したことを基礎としてやっていたので、実態としてはそれよりも長いです。でも、仕事の内容が多岐にわたるので、なかなか「一人前」という感じはありませんでした。その後同じ会社でいわゆる研究の調整部門的な仕事を2年ほどしてましたが、これはこれで専門性があってないようなものでした。特に自分としては本社っぽい仕事に慣れるまでかなり苦戦し、慣れてきても出来が悪かったので、全くもって「一人前」感はないです。なんとか「こなした」感じ。

で、1年前に今の仕事についたのですが、これは前の2種類の仕事を両方やるような仕事です。もちろんその分濃度は低いですが、粒度の異なる仕事を一通り全部こなす必要がある。もちろん一人でやるわけではなくて、同僚も2人いるし、日本の親会社の人、個人的な知り合い等いろんな人がサポートしてくれるので、何とかなっているわけですが、結論としては、まあ、何とかなったわけです。実感としては「一人前」感覚がないものだったのにも関わらず。

でも、「一人前になった感」って全く客観性がなくて、全然意味がないことのような気がしてきました。それを基準に仕事を選んでいると、自分の幅を広げる機会を失ってしまうような気がします。いわゆる日本人的感覚では、一人前になるには長い時間をかけた修業が必要なのじゃ、みたいなのがあるので、10年でもまだまだ、みたいな感じではないでしょうか。

アメリカ人はそんなことない。1-3年程度頑張ってやったら、(いろんな幅があるものの)その分野のエキスパートだとみられるっぽい。本当にそう思っているのかは確かめようもないですが、皆さんはそう言ってます。例えば、前にアメリカの大学の研究室にいて、ある分野の研究をしていたのですが、1年半くらいやったところで指導教授が「もうこの分野の論文も一通り読んで、論文も書いたんだから、もうあなたはこの分野のスペシャリストなのだ」といわれて「大げさだし軽いなー」と思ったものです。でも今回仕事をやってみても皆さんの認識(言ってる感じ)からそんな感じが見受けられます。

アメリカ人が特段能力が高いわけでもないので、習熟度という意味では、日本でやった14年がアメリカでは3年でできます、なんてことはさすがにないと思います。ということは、言ったもん勝ちの世界です。「できます」って胸を張っていっちゃう。でもそんなでもまあ何とかなりそうな気がしてきた。というか大体そうなっているように見える。こういうところ、日本人は損してます。ホラを吹く必要はありませんが、適度な自信を持つことは世界で戦うためにはとても大事です。

英語の言い回し7


続けていきます。これでまだ渡米後2か月分しか上げれてません。先は長い。。。

Sweating bullets
大汗をかいて懸命に働く。例えばプレッシャーを受けながらせっせと仕事に励んでいる。「必死こいてやってる」感じ。Bulletsは鉄砲の玉。


That’s my two cents.
まあ、これは私の個人的な意見だけど。


On a roll
例えば仕事がうまくいっていて流れがいいこと。「邪魔するな!うまくいっているのだから」みたいな感じ。


Crap
ひどい(品質の)もの。What a crap!


Organized mess (or Chaos)
見かけはめちゃくちゃに散らかっているけど、ある人にとっては整理整頓されていて使いやすい、という様。


Dig a (deep) hole to China
まあ、なんか適当にやっとけば、みたいな感じ。ほとんど意味なし。挨拶で「今日は何やってるの?」と聞かれたら、「just digging hole to China」みたいに使うらしい。実際にアメリカから穴を掘ったら地球の反対側に行くはずだけど、あまりそういう意味はないらしい。日本の場合はdig a hole to Brazilか?ちなみに子供が砂場で穴を掘っていたらare you digging a hole to China?と聞いてみてもいいみたいです。何が面白いのか全く分かりません。


We aim to please

あなたを喜ばせようと思って、みたいな感じでしょうか。ありがとう、と言われた時の返し言葉だそうです。

Productの別の意味


今の仕事でproductという単語はよく使います。化学反応した生成物、みたいな感じ。でも、きょう初めてproductが数学では積という意味だということを知りました。Google先生によると、

四則演算は
addition
subtraction
multiplication
division

いわゆる和差積商は
sum
difference
product
quotient

だって。quotientも知らんかったけど。

これは最近の日本の小学生でも知ってそう。危うく恥ずかしい思いをするところでした。。。たまーにこんなことがあるから、本当に困るなあ~。

2019年1月8日火曜日

今までどうやって英語を勉強してきたのか その4(さいご)


この一連のエントリーの最後に、英語学習について普段どういうことを意識していたか/いるかを書いてみます。同じようにアメリカで生活したり、仕事したり、研究したりしていても、英語の上達は人それぞれ劇的に違います。「こうしたら絶対早く上達する」とかそんなのはありませんが、私を含めた凡人かつ非帰国子女はひたすら試行錯誤を繰り返すくらいしかやりようがないんじゃないかと思う。

1つ目。私が一番意識して続けているのが、ネイティブスピーカーの真似。できる限り正しい英語を使う人を見つけて、その人が普段使っている言葉を覚えて実際に別の場所で使うようにしています。メールでも同じ。ネイティブスピーカーが書いたメールを部分的にパクって別のメールで使っちゃう。真似をするといいのは、自然な英語が身につくこと。今まで学校で勉強していた英語って、文脈とかほとんど無視して無理やり1対1対応をさせて試験問題にする、みたいなことをしているので、実戦であまり役立たないんだと思う。仕事をしているといろんなメールを書くことになるのですが、使いたい単語がわからないことがよくあります。そういう時はWeblioとかAlc英辞郎とかで調べて単語を見つけてメールしますが、経験的に不自然な言い回しになってしまいます。後でやり取りを見てみると、相手が違う表現を使っていることから、自分の単語の選択がいまいちだったんだな、となんとなくわかっちゃう。おそらくWeb検索では文脈が微妙に違うのでなかなかうまくいかないんだと思います。そうやって調べることを否定はしませんが、真似が手っ取り早く、かつ適当である可能性が高い。もちろん日本人でも普段のメールは文法がめちゃくちゃだったりすることはあるし、こっちの一方的な勘違いとかが起きうるので、なんでも鵜呑みにするのは危険かもしれませんが、ある程度の誤差は無視します。よく使う言い回しとかはしょっちゅう出てくるので、すぐ慣れます。あとはそれを繰り返すのみ。間違っていたら、たぶんどこかで気づきます。日本語だって、「恥ずかしい間違い」ってあるから、気にしない。子供が語学を学ぶのと同じプロセスです。

しゃべり言葉にしても同じで、人が使っている言い回しをほかで使ってみます。アメリカ人っぽくなった感じになって気分は悪くない。それっぽい雰囲気を出せば、なんとなく楽しいような気がしてくるから不思議。アメリカ人ってリズムを取りながらしゃべったりする人が多いです。(ちょっと練習してから)それを真似てやってみると、なぜかより良く話が通じているような気がする。なんとなーく不思議な一体感を感じるのです。それが何の足しになるのかわかりませんが、話し相手も普通にしゃべっているような気になって、話に集中しやすいのかなあ。

2つ目に気を付けているのは、しゃべる機会を意図的に避けないこと。アメリカで仕事をするにしても今の私の仕事ではかなりの部分をメールで済ますことができます。でも、それではもったいないし。やっぱりF to Fとか電話とかで話をできるほうが、便利。メールだけでは限界があります(日本語でも同じ)。話が通じなかったりして気まずい思いをするのは仕方ないので、それでも食い下がって会話を成立させるのはいい訓練です。

3つ目に気を付けているのは、英語ばかりに気を取られずに状況を整理し、前提を確認しながらきちんと論理的に話すことです。英語のせいで伝わらないことを心配するより、伝えたい内容がちゃんとまとまっていないほうを心配するほうが大事。メール書くなら箇条書きを有効に使って文字数を減らす。口頭で話す場合はメモとかを事前に用意して印刷して持っていくか、相手にメールで送っておき、それをベースに議論開始する。議論の後はもちろんメモを作って合意事項とアクションアイテムの文字での確認。

おまけですが、「私は英語苦手だから」とか「Sorry」を連発するとか、こういうのはNG。私も渡米当初は何も考えずに言ってましたがしばらくして意図的にやめました。英語のネイティブスピーカーでないことは一瞬で分かるので発言自体に意味がないし、それよりも伝えるべきことを短時間で伝えることにエネルギーを注ぐほうが相手にとって失礼がないと思います。自信をもってはっきり、大きな声で発言すること。仮に周りに日本人がいても気にしないこともコツかも。今の仕事上、たまに日本の会社の人も会議に入って英語でやり取りすることも発生します。それでも気にせず堂々としゃべる。日本人はこういうのが苦手だと思いますが、恥ずかしがっても何の得もなし。伝えるべきことを伝えることに徹するほうがみんな幸せです。

ネイティブスピーカーに近づくことなんて目指してません。発音も通じればOK。ブリティッシュイングリッシュがかっこいいとか、正統派だとか、そういうのも一切なし。ストレスなく自分の思ったことを英語でも伝えられるようになれば十分です。過剰でない適当なゴールを自分で設定することも大事だったのかもしれない、と今になって思います。

2019年1月5日土曜日

今までどうやって英語を勉強してきたのか その3

9.就職後11年目~14年目

日本に帰国後、ちょうど始まったくらいのTOEIC S&Wを受けてみました。覚えているうちに。その結果Speaking 180点、Writing 170点。この点がどういうことなのか結局わからず、その後受けてません。この試験って、みんな受けてるんだろうか。。。
帰国後も引き続き同じ日本の会社に勤めてますが、私がボストンに引っ越したタイミングでアメリカの会社を買収してその会社とのやり取りが出てきたので、英語が大活躍。便利だなーと実感。そんな感じで、英語も使う機会があるし、もう英語の勉強にエネルギー使うのはやめた、と思って油断していたら、13年目に社内のルールでTOEICを受けることになってしまいました。イヤだけどどうせ受けるならと思い直し、990点って、狙ってとれるもんかと思って再度ALCの教材を購入。確かこんな感じの教材です。超難しいから、TOEICを受けたら簡単に見える、みたいな感じ。まあ、確かに難しくて、なかなか正解できません。一通り練習して試験を実際に受けてみると915点(Listening 460点、Reading 455)。うーん、微妙・・・帰国後約2年くらいたっていてもスコアが低下していないことはよかったのですが、やっぱり990なんて無理。できないことを言い訳に、もうやらないことを堅く決意。できないひがみなのですが、普通に仕事するうえで990点なんて全く不要。英語のせいで意思疎通ができなかったことなんてまず起きなくて、仕事能力の問題で意思疎通ができないことのほうがしょっちゅう起きてます。自分が学ぶべきことは仕事能力なのだと悟る。

10. 就職後15-16年目

研究から離れていわゆる研究と他部門の調整部門に異動。英語のやり取りが極端に増えたわけではないですが、やっぱり便利なことには変わりなし。ほかの部門、外の会社への顔みたいな立場なので、そこをうろたえることなくできるのは精神衛生上とてもよろしい。引き続き油断して英語の勉強の時間はほとんどとっていないので(望ましいことではないとは思いつつ)好きな読書を好きなだけできるのでうれしい。

11.就職後17年目

去年です。今の職場に異動(日本の親会社から出向でアメリカのベンチャーに出向)して、ようやく1年が経ちました。日本の親会社と現地をつなぐことも仕事の一部なので、英語も日本語も駆使します。出向先で同じ出向者と仕事の話をすることもありますが、部署、立場がバラバラなので、意識的に機会を作らない限り会話をする機会はありません。昼食もバラバラだし、飲み会もほぼなし。なので、仕事中の使用言語は英語8~9:日本語1~2くらい。

英語8~9の仕事のうち、会議は日本の時ほど多くないですが電話会議の比率が多く、会ったこともない人とメールと電話で意思疎通しながらなんとか仕事をこなす状態なので、ちゃんとできているかかなり不安。初めて持った部下2人がアメリカ人。うち一人は在宅勤務で2か月に1回くらいしかF to Fで会わない。でもとりあえず大事もなく1年が無事に終わったので、良しとする。ある同僚がとても親切で、このブログのエントリーになっているイディオムなんかをきちんと説明してくれるので、とても助かりました。こういう知識は実戦で学ばないとなかなか身につかないので貴重です。

ということで、いまのところこんな感じ。最初に書いた通り、基本的には人によって状況やバックグラウンドが全然違うのでなんの参考にもならないと思います。それでも、こういう話はあまり出てこない気がするので書いてみました。こうやって見るとこんなに長い間勉強しててこの程度なんて涙がでそう。

2019年1月2日水曜日

今までどうやって英語を勉強してきたのか その2

6.就職後約5年間

しばらく進歩なし。仕事が面白くてそればかりしていました。仕事で英語を使うこともほぼなし。TOEICは会社で毎年1回は受けることが必須だったので受けてはいましたが当然点が上がるはずもなく。。。1年目530点、2年目645点、4年目600点、5年目600点。で、さすがにこれを毎年受け続けるのはアホらしいと気づく。たしか730点以上取ったらもう受けなくていいという噂を信じて勉強を開始。ただ、今思えば、TOEICの点を取るために勉強するのと、英語を使いこなすために勉強するのではちょっと違うということなど全く考えもしていなくて、それはそれでまたアホでした。これについては後で述べます。

7.就職後6~8年目

就職後5年半で転勤があって、地方の工場付きの研究所で仕事をすることになったタイミングで比較的時間に余裕があったので、ALCのヒアリングマラソンを購入。毎日2-3時間はさすがに大変で、結局1年間1000時間なんて全然無理。確か500-600時間くらいでフィニッシュ。ただ、この時教材に含まれていたEnglish Journalは内容がそれなりに面白かったので定期購読を続け、お風呂とかでCDを聞き続けました。これと並行して受けた6年目のTOEICが710点。お?ちょっと上がった?1000時間に到達できなかったのにもめげず、ALCのTOEIC対策的な教材で勉強を継続。これが結構良かった。TOEIC(R) L&Rテスト 直前の技術という本です(当時はタイトルが少し違った気がします)。いわゆる回答テクニックとか、そういうものをまとめたものです。TOEICの試験って、かなり特殊な形式で、それに慣れないと太刀打ちできません。たぶん、今、急に受けてもあまりいい点は取れないんじゃないかと思います。問題を一つ解いたらすぐに次の設問を読み始めて準備しておくとか、3択問題ではたいてい罠が仕掛けてあるとか。ヒアリングマラソンがどれくらい効果があったかわからないのですが、この本を読んだ後に受けた7年目のTOEICが825点。おお!テクニックだけで100点もアップ!これはすごいです。費用と努力対効果がすごくいい。

8.就職後9年目~10年目

社費留学でボストンにある大学で2年間の研究生活。もともとこういうことがどうしてもしたかったわけでもないのですが、たまたま英語の勉強をしていたことと、環境を変えたかったところ、こういう話が出てきたので希望してみました。本当にありがたいことです。大学では世界各国から集まった20人くらいの大学院生、ポスドクがいるラボでずーっと実験がメインの仕事。月曜から土曜まで。日曜日もたまに実験。教授の方針で基本的には1人1テーマなので、一人で黙々と作業をこなす時間がかなり長い。とはいえ、食事中の友人との雑談で何を言っているか全く分からないことに愕然として、できる限り実験中も人としゃべることにしました。最初の3か月は死にそう。しゃべるだけ、聞くだけで疲れる。いわゆる大学の研究から長く離れていた(来る前は工場にいたし)ので、それもあって、とても疲れる。でも、最初の3か月でめげずにできる限りしゃべる/聞くようにしたのでだいぶ慣れてきたんだと思います。また、周りの人も非ネイティブが多かったので、みんな優しい。お互い痛みがわかりあえるのですごく嬉しい。そんなこんなで試行錯誤を繰り返し(このあたりの具体的な内容はその4に)、最初の1年が終わるころには、かなり不自由なく意思を伝えられるようになってました。で、ちょうど1年たったタイミングで自信もついたのでTOEICを受けてみました。なんと、ボストンでもアジア人向けに受けれるんですね~。結果は900点(Listening 465点、Reading 435点)。受けた後はかなり手ごたえあって、「あれ?これ990点じゃない?」と思ってましたが、全然そうでもなかった。でも900点超えたからもうTOEICは卒業でいいと確認。残りの1年は(研究が順調であったこともあり)英語疲れもそれほどではなく過ごすことができました。

ここまで書いてきて今更、ですが、結局TOEICの点があっても、英語で仕事や研究ができるかは全く別問題であることを(2009年に)アメリカに行ったときに本格的に悟りました。英語で意思疎通する力を私は「戦闘能力」と呼んでます。これは「TOEICの得点」とは相関がほとんど無い。伝えたい内容さえちゃんとしていれば、文法が多少変でも十分コミュニケーションできます。また、何かに抗議するとか、そういうときも抗議したいという強い気持ちのほうが大事。昔は頭で英作文してからしゃべっていましたが、さすがにそれでは不便だし間に合わない。訓練を継続することで、それほど考えずにわーわーいうことができるようになりました。こっちが何か言いたいんだぞ!感をだして時間稼ぎするとか。まあ、カッコ悪いですが発言権を得るためには致し方ありません。そんなんでめげてたら話になりません。

というわけで、TOEICの点を取ることは、TOEICの点が低い(ない)ことで何らかの不利益を被ることがないようにするためのであって、「何点とれるかなゲーム」的な感じです。英語に慣れることは意味がありますが、戦闘能力はたぶんほぼ上がらない。

ちなみにTOEICの点数アップ塾の講師的な人は別。990点取ることに大きな意味があると思う。ただ、ボクは状況が違うというだけのことです。

2019年1月1日火曜日

今までどうやって英語を勉強してきたのか その1


いまは日本の親会社とのやり取り以外はすべて英語での仕事です。といっても急にということもなく、2009年~2011年にボストンで留学(大学の研究室で研究)、その後会社がアメリカの会社を買収して海外との仕事が増えたこともあって、一日に1通は英語のメールを受け取る生活をしていたので、準備がなかったわけではないです。

英語の勉強というのはいろんな人がいろんな意見を持っているし、状況も人も違うので、「こうすれば絶対いい」なんてありません。が、何かの参考になるかもしれませんので今まで自分がどうしてきたかを書いてみます。前提として、私の仕事は有機合成、化学工学系の研究職→最近は調整部門に所属。小学校5年から修士課程を出るまでずっと東京の郊外で過ごしました。親は公務員。海外出張はめったにない感じ。親戚には日本人以外の人は全くいません。就職するまで知り合いの外国人も皆無。

1.小学校6年生~中学3年生

記憶はあまり定かではありませんが、なぜか「英語の習い事」に週に1回1時間だけ、約1年半くらい通っていました。もちろん自分で選んだわけでなく、親が勝手に決めてきました。基本的にはしゃべる練習。先生一人の周りに生徒6人くらいが座っていて、先生はモノとか動作とかの絵の書いたカードを見せ、それをみて生徒がジェスチャーをしながらその名前を英語で言います。ほかにも、英語の詩を暗唱したり、まあ、いったら大したことない感じです。ただこの中で一つだけ役立ったのがあって、それは発音の授業です。英語ではthとか、slとか、trとか、子音を連ねることで特有の発音があります。これを一通りカードを見ながらみんなで発音し、単語の例を見ながら覚えます。これはすごくよかった。なぜかうまく説明できないのですが、これのおかげでその後(すぐではなくてたぶん高校受験の時くらいに)英単語をみたら、とりあえずの発音の仕方がたいていわかるようになりました。

2.中学時代

塾にほとんど行っていなかったので特段勉強はしてません。ただ、3年生の夏期講習と冬季講習だけ通った塾がよかった。かなり大量の問題を短時間で解くトレーニングをまとめてすることができ、一度パターンを覚えると大体の問題は解けるので、それなりに楽しかったです。

3.高校時代

大学の付属校だったので受験勉強してません。でも、英語は授業がハードだったので、週に3-5日、毎回1時間以上の予習をしたうえで3年過ごしました。教科書は全く使わず、なぜかシェイクスピアとか、アメリカの偉人の伝記なんかをせっせと和訳して読むだけ、という変な授業です。今思えば、英語は日本語に直訳不可能ということを理解できたのはよかったかも。ボキャブラリーも(役に立っているかどうかは別として)すごく増えました。

4.大学時代

この時代が一番英語を勉強しなかったかも。1、2年生の間は一般教養で授業があったけど全く記憶なし。面白くもないし難しくもない。あれは何だったんだろうか。

5.大学院時代(修士課程2年間)

この時代も英語の授業はありません。英語に触れるのは論文を読むときなので、時間的にはそこそこあったかも。たまに外人の講演会が英語であったりして、質問なんてできないよなあ、と思いながらも何もせず。本業に必死で英語の勉強までしようなんて全く考える余裕なし。修士2年の10月に会社の内定式があって、そのあとTOEICの試験を受けたら560点。当時はその意味がよく分かってませんでした。そもそもTOEICって何?みたいな。留学とかも全く考えたことなし。ちなみにその時の平均点が530点だったので、「まあ、いいか」くらいの感じ。当時はまだ英語ができないとダメ、みたいな雰囲気はなかった(とおもう)。特に研究職だったし、論文さえ読めれば、とおもってたのかも。

就職後の後編に続きます。

違う言語を喋るときは性格が変わる?

同僚はアメリカ人なので会社では英語、家族は日本人なので家では日本語です。幸運なことに会社にも同じ日本人出向者はいながら、仕事ではほとんど関係しないので本当に英語のみ。トレーニングには最適です。 それで気づいたのですが、自分が英語でしゃべっている時はどうやらちょっと性格が違う人...